北欧諸国の1つであるフィンランド、その東にはロシアが隣国しています。
この2つの国では、かつて何世紀にも渡って戦争が繰り広げられてきました。
今や、観光や買い物など国境を超えて互いに行き来している様子が見られますが、そんなフィンランドとロシアの関係はどのようにして築かれてきたのでしょうか。
歴史を辿ると、そこにはフィンランド人の特性である冷静で客観的な判断にヒントが隠されているようです。
フィンランドの歴史
フィンランドの歴史は、大きく分けて先史時代、スウェーデン時代、ロシア時代、独立後時代の4つの時代に分けられます。
先史時代(~12世紀)
フィンランドの最初の定住者は、紀元前700年頃に現在のロシア、ヴォルガ川周辺から移入した民族と言われています。
この時に氷期が終わり、気温の上昇と陸の変化に伴って地形が作られていきました。
フィン人の歴史には諸説ありますが、北部のサーミ人と南部のフィン人から始まり、更にスオミ人、ハメーンリンナ人、カレリア人に分かれていたそうです。
彼らは、主に狩りや漁猟をしながら生活していました。
また、この頃のフィンランドは、スウェーデンとロシアが戦う場所として使われていました。
スウェーデン時代(12~19世紀)
スウェーデン統治は、13〜14世紀頃にスウェーデン国王による北欧十字軍の遠征で、フィンランドに侵攻したことがきっかけと言われています。
この時フィンランドの周辺には、東部にキエフ公国(現ウクライナ)、ノヴゴロド国、ビザンツ公国(現トルコ)がありました。
周辺の国は、次第にスウェーデンの影響がじわじわと入っていき、同時にスウェーデンの支配力も強まっていきました。
17世紀になると、ロシアからの侵攻に備えてトゥルク城が建てられ、1640年にはトゥルク・アカデミー大学(後のヘルシンキ大学)が建設されます。
しかし、大北方戦争での敗北やナポレオン戦争での勢力拡大により、フィンランドはロシアに割譲される結果となったのです。
ロシア時代(19~20世紀)
19世紀初期、ロシア帝国とスウェーデンの間にフィンランド戦争が勃発しました。
結果、スウェーデンはロシア帝国に国土の3分の1を割譲し、人口の4分の1を失うこととなりました。
ロシア帝国は、フィンランドに対して比較的寛容な姿勢を見せたため、独自の信仰や権利を維持することができました。
それは、フィンランド人としての民族意識が芽生えるきっかけとなり、有名な民族詩である「我々はスウェーデン人には戻れない。しかしロシア人にもなれない。そうだ。フィンランド人でいこう」が生まれました。
ここでフィンランドは確かな独立を認識したのです。
独立後時代(20~21世紀)
ロシア帝国が崩壊したことをきっかけに、1917年にフィンランドは独立を宣言しました。
冬戦争や継続戦争ではフィンランド独立の危機があったものの、停戦に持ち込むことに成功。
現在もロシアとは中立の立場を取りながら、フィンランドは経済の発展へ尽力し、世界一の福祉国家を作り上げています。
フィンランド独立後の危機
1917年にロシア革命が起こり、フィンランドは12月6日に独立を宣言します。
それは、独立前のロシア時代後期に、一次大戦の疲弊によってロシア帝国が崩壊したことがきっかけとなっています。
独立宣言後、フィンランド国内で独立派と革命派が対立し、激しいフィンランド内戦が繰り広げられました。
社会が貧困化して状況が不安定となったこの内戦は、多額の賠償金や死傷者を出すことに。
結果、独立派が勝利し、1920年6月に停戦。フィンランドは安定を取り戻しました。
その間には、1919年7月にフィンランド議会が新憲法を制定、1932年にはソ連との不可侵条約が制定されました。
第二次世界大戦が始まると、1939年11月、ソ連はフィンランドに対して脅威を与えました。
フィンランドは、その侵略に抵抗し、1940年3月にモスクワで講和条約を締結。
ソ連にカレリア地峡などおよそ1割を分け譲ることを認め、独立を守り抜きました。
1941年6月には、ソ連から領土を取り戻すためにソ連に侵攻した継続戦争が始まります。
そこに助け舟を出したのは、ドイツでした。
ドイツの了解なしに条約を結ばないことを条件に、支援を受けたフィンランドは、ソ連からの侵攻を食い止めることに成功。
しかし、その後もソ連の攻撃は止まることがなく、講和の道を探したフィンランドは、ドイツとの協力関係を解消することと賠償金を条件に休戦協定を結び、ようやく国の独立を保持することができました。
戦後のロシアとの関係
第二次世界大戦後のフィンランドとロシアの厳しい関係は、今もなお続いています。
1917年に独立したフィンランドは、ソ連との激しい戦争の末、国土の約1割を奪われました。
ソ連と中立することを望んだフィンランドは、戦後の1948年に友好協力相互援助条約を締結しています。
正式には、友好・協力・相互援助条約とも言われるものです。
その条約には、フィンランド経由でソ連が侵略を受けた場合に、ソ連の援助を受けて軍事的に抵抗する義務を負うと言った内容や、経済的・文化的な協力などの内容が謡われていました。
反ソ的な政党やメディアの活動の制限はあるものの、こうした中立化を図ることでフィンランドの安全を守ってきました。
その後、1991年にはソ連が完全崩壊し、欧州の安全保障を担うヘルシンキ宣言が出され、1995年にはEUへ加盟。中立の立場を維持しています。
一方で、フィンランドの経済は大打撃を受けていました。
2014年のロシアによるクリミア併合は、欧州との関係悪化や貿易取引の損失、原油価格の崩落、ロシア通貨ルーブルの暴落を生んだのです。
それでもフィンランドはこの逆境に立ち向かい、再び繁栄しようと前向きな姿勢を見せてきました。
結果、フィンランドの経済は上向きとなり、石油価格上昇やユーロ圏は回復に向かいました。
旧ソ連時代、お互いの国境を越えることはわずかでしたが、今ではロシア人と国境を越えた関わりを結んでいる地域もあるようです。それは、フィンランドの堅実で勇敢な姿勢が功を奏したと言えるでしょう。
NATO加盟へ 今後のフィンランドの未来
第二次世界大戦後、フィンランドは旧ソ連であるロシアに刺激を与えないよう、中立の立場を守ってきました。
しかし、ロシアによるウクライナ侵攻が続く現在、フィンランドの安全は万全であるとは言えません。
これまではロシアと隣接するという理由から、フィンランドのNATO加入は見送られてきました。
しかし、2023年4月4日、フィンランドはNATOに正式加盟を果たしました。
NATOの集団防衛体制に組み込まれることで、フィンランドの安全保障が強化されるという側面がありますが、ロシアとの関係は更に緊張状態が強まったと言えるでしょう。
まとめ
今回は、フィンランドとロシアの関係について、歴史的背景を交えながらご紹介しました。
何度も独立の危機に見舞われてきたフィンランドですが、自国を守る強さが独立維持へと繋がったようです。
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