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【北欧の歴史】ヴァイキングとは?生活の様子から大航海の歴史まで

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「ヴァイキング」と聞くと、「荒々しい」「略奪」「海賊」と言ったイメージが湧きませんか?

しかしそれは彼らの一部分であり、本質は交易商人だったと言います

Asuta
今回は、そんなヴァイキングの生活の様子から大航海の歴史までご紹介します。

ヴァイキングとは?

ヴァイキングとは、ヴァイキング時代と言われる9〜12世紀にかけて、海賊行為や交易、植民、建国など多方面で活動していたノルマン人のことです。

彼らはスカンジナビア半島やデンマークを原住地として、現在のイギリスやフランスなど西ヨーロッパ各地の海岸に出現し、海賊活動と共に交易を行っていました。

ヴァイキングがこのような活動を始めたのは、人口増加の圧力や土地不足、食料不足などが理由と言われています。

ヴァイキングのルーツ

海賊行為で知られているヴァイキングですが、その多くは農民であり、故郷では畑を耕し、狩りや漁をして暮らしていました

ヴァイキングは交易活動も盛んであったことから東アジアや中東との交流を通して、地理の知識や軍事技術を身につけていきました。

結果、ヴァイキングは各地への移住、植民、略奪行為を活発化させていきます

こうして、わずかな期間で西ヨーロッパ諸国を広く支配するようになりましたが、次第にそれぞれの国家の国民として分離していき、ほとんどのヴァイキングは消滅していきました。

ヴァイキングの特徴

西欧の騎士達と同じような、頭部を覆う兜と「チェインメイル」という鎖製の鎧を被っており、丸形の盾と大型の戦斧を持っているのがヴァイキングの戦士の特徴です。

また、ヴァイキングは、戦闘に使う船にも大きな特徴があり、「ロングシップ」と呼ばれる船腹が細長い形状をしている船を操っていました。

ロングシップは、水深の浅い河川に侵入することもでき、多数のオールによって漕ぐこともできるため、とても早く進むことができました。

また、陸上では船を引っ張って移動することもあり、人々はヴァイキングの機動力を恐れていました。

Asuta
このような高い航海技術を持っていることから、ヴァイキングが襲撃してくる場所を予測することが難しかったと言います。


ヴァイキングの歴史

793年のイングランドにあるリンディスファーン島を初めとして、ヴァイキングの大航海が始まります。

彼らは、約300年もの間、新しい可能性を追い求めて遠征に向かいました

襲撃の始まり

ヴァイキング時代の始まりは、793年6月8日イングランドのリンディスファーン島にある修道院への襲撃でした。

この修道院は、学問が盛んであり、福音書の訳本なども作っていました。

ヴァイキングは修道院を襲い、貴重品を略奪し、生き残った修道士は島から逃げ出したと言います。

この襲撃は「ヴァイキングの侵略」の始まりとして位置づけられています。

イングランド征服

ヴァイキングのイングランド征服は、リンディスファーン島やヘブリディーズ諸島を襲撃したことがきっかけでした。

イングランドの人々も抵抗しましたが、11世紀初頭、デンマークの王・クヌートによって征服され、デーン朝が開かれます。

Knut der Große cropped.jpgVon Autor/-in unbekannt – Scanned from the german histrory magazine Der Spiegel Geschichte (6/2010): Die Wikinger – Krieger mit Kultur: Das Leben der Nordmänner. Spiegel-Verlag Rudolf Augstein GmbH & Co. KG, Hamburg 2010, p.87, Gemeinfrei, Link

クヌートは、デンマークの他にノルマン朝イングランドとノルウェー、スウェーデン、スコットランドの王位を兼任し、支配していました。この国のことを「北海帝国」と呼びます。

そこへ侵攻してきたのは、ノルウェー王ハーラル3世です。

さらにノルマンディー公ギヨーム2世も上陸し、大侵攻が始まりました。
最終的に、ノルマンディー公ギヨームが勝利し、ウィリアム1世として即位。
1066年にノルマン朝が開かれます。この征服を「ノルマン・コンクエスト」と言います。

これによりイングランドの王政が本格的に始まり、1154年まで制圧が続きました。

フランク王国への進出

続いて、フランク王国(現在のフランス)でヴァイキングの侵攻が起こります。

911年、ヴァイキングの一団はパリの西方の町・シャルトルを襲撃しました。

フランスの王・シャルル3世は、一団のリーダーであったロロ(Rollo)に交渉の機会を得て、多額のお金と引き換えにパリの町を取り戻します。

ロロの攻略は失敗に終わりましたが、キリスト教への改宗を条件に、セーヌ川下流のノルマンディー地方の領土を獲得しました。

ロロは、王女ジゼルと結婚し、フランスに定着した子孫はノルマンディー公の称号を受け継ぎました。その後、ノルマンディー地方の傭兵たちによる地中海への侵略が始まり、ヴァイキングの活動はさらに広まっていきます。

ヴァイキングの北方進出

さらに北へと進出したヴァイキングは、「シェトランド諸島」や「フェロー諸島」を発見します。

そして9世紀には、フローキ・ビリガルズソンによって「アイスランド」の存在が知られ、アイスランド最初の植民者であるインゴールヴル・アルナルソンを筆頭に、ノルウェーからの移住者がどんどん増えていきます。

無人島に近く権力者も存在しなかったアイスランドは、ノール人のヴァイキングによって植民地へと浸透していきました。

そして、アイスランドから西に進んだ場所に「グリーンランド」を発見します。

最初にこの島に到達したのは、赤毛のエイリークでした。

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Arngrímur Jónsson – <a rel=”nofollow” class=”external free” href=”http://rmc.library.cornell.edu/exhibits/sagas/eric.html”>http://rmc.library.cornell.edu/exhibits/sagas/eric.html</a>, パブリック・ドメイン, リンクによる

エイリークは、ヨーロッパ人として初めてグリーンランドに入植した人物と言われ、986年にはグリーンランドがヴァイキングの植民地として浸透していきました。

しかし、ヴァイキングは先住民であったイヌイットとの共存ができず破壊してしまい、現在のグリーンランドはデンマークの領土となっています。

北アメリカ大陸への植民

ヴァイキングはグリーンランドからさらに北へと足を運び、北アメリカへ進出しました。

北アメリカに最初に到達したのは、赤毛のエイリークの息子、レイフ・エリクソンでした。

エリクソンは、この町を「ヴィンランド」と名付け、ヴァイキングの植民地が誕生します

1010年には、ソルフィン・カルルセフニによるヴァイキングの大規模な移住が行われましたが、先住民族(ネイティブ・アメリカン)との抗争が発生したことにより、短期間で放棄されました。

ヴァイキングの生活とは

ヴァイキングは、イングランドやフランス、北アメリカなど様々な国へ進出し、町を襲撃していきました。

彼らは、この略奪遠征のことを”ヴァイキングに出かける”と言っていたそうです。

世界中の人々には恐れられる海賊として浸透しましたが、その裏では別の姿もありました。

ヴァイキングの多くは、農場を経営する農民であり、交易商人です。
彼らはその他にも、生活用具の作製、船の修繕などで暮らしを立てていました。

そして、農場の仕事が落ち着いた頃、ヴァイキングに出かけていったと言います。

略奪遠征は、決して海賊行為が目的ではなく、彼らの生活を維持するための経済的補完や、人口増加による食料調達だったとも伝えられています。

まとめ

今回は、ヴァイキングについて、生活の様子から大航海の歴史までご紹介しました。

ヴァイキングから初めに思い浮かべる荒々しいイメージは、彼らの一部分だったことが分かります。

Asuta
表面的な歴史だけを見つめるのではなく、その裏にある生活を知ることで彼らの本来の姿が見えてきますね。


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